【ミミズの鳴き声】「ジーッ」という音の正体は?「蚯蚓鳴く」が秋の季語になった哀愁ある勘違い

秋の夜長、窓を開けるとひんやりとした風と共に、静まり返った庭先や草むらから「ジーッ……」とか細く、それでいて長く響く音が聞こえてくることはありませんか。

スズムシの「リーンリーン」という涼やかな音色や、コオロギの「コロコロ」という軽快なリズムとは一味違う、まるで地底の奥深くから湧き上がってくるようなその響き。その低く唸るような持続音に、「ああ、今年もミミズが鳴いているなあ」なんて、しみじみとした風流な気持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。

実際に、秋の夜の散歩道などでこの音を耳にして、祖父母や両親から「これがミミズの鳴き声だよ」と教わった経験を持つ方も多いはずです。その言葉を疑うことなく、「ミミズも秋になれば寂しくて歌うのだ」と信じて大人になった方も少なくないでしょう。

しかし、ここで一度立ち止まって冷静に考えてみてください。あのヌメヌメとして、手足もなく、目鼻立ちもはっきりしないニョロニョロとしたミミズが、本当にあんなに澄んだ、金属的とも言える声で鳴く姿を想像できるでしょうか?

実はそこには、私たち日本人が古くから抱いてきた、ちょっぴり切なくて、それでいて文化的に非常に興味深い「美しい勘違い」が隠されているのです。今日は、地面の下で静かに暮らすミミズたちの名誉(?)と、真実の歌手の名誉のために、その音の正体と意外な真実、そして科学と文学が交差する不思議な世界について、たっぷりと語りましょう。

目次

ミミズは本当に鳴くのか?生物学的な結論

結論:ミミズは100%鳴かない【発声器官が存在しない】

いきなり秋の夜のロマンを粉々に砕くようで大変心苦しいのですが、最初に科学的な結論をはっきりと申し上げておきましょう。生物学的に断言します。ミミズは絶対に鳴きません。「たまには機嫌が良くて鳴くんじゃないの?」とか「種類によっては鳴くやつもいるのでは?」という淡い期待を持つ余地もなく、100%鳴くことはないのです。

もしあなたが土いじりをしている最中に元気なミミズに出会い、地面に耳をぴったりとくっつけてみたとしても、聞こえてくるのはミミズが湿った土をかき分けて移動する際の「ヌチャッ」「ズルッ」という粘液の音か、あるいは体の表面にある剛毛が土の粒子とこすれる「サッサッ」という微かな音だけでしょう。あの「ジーッ」という通りに響く音色は、彼らが奏でているものでは決してないのです。

あのダーウィンも確かめた? ミミズの聴覚と発声

進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは、晩年、ミミズの研究に情熱を注ぎました。彼は『ミミズの作用による肥沃土の形成』という本の中で、ミミズの知性や感覚について様々な実験を行っています。

その中には、「ミミズは音を聞くことができるのか?」という実験もありました。ダーウィンはミミズに向かって笛を吹いたり、ピアノを弾いたり、大声で叫んだりしましたが、ミミズは全く反応しませんでした。このことから、ミミズには聴覚がない、つまり「耳が聞こえない」ことが判明しています。(ただし、ピアノの上にミミズの入った容器を置くと反応したことから、音ではなく「振動」には極めて敏感であることも発見しています)。

耳が聞こえない彼らが、仲間を呼ぶために「声」を発達させる必要があったでしょうか? 進化の過程から考えても、彼らが鳴く理由は見当たらないのです。ミミズたちは、生まれてから死ぬまで、完全なる沈黙を守り続けるハードボイルドな生き物なんですよ。

なぜ鳴けない?肺も声帯もない体の構造

では、体の構造的に見て、なぜ彼らは鳴かない、いや「鳴けない」のでしょうか。

私たち人間や、犬や猫が声を出すときの仕組みを想像してみてください。肺に溜め込んだ空気を勢いよく押し出し、喉にある「声帯」という膜を震わせて音を出しますよね。管楽器が音を出すのと同じ原理です。

ところがミミズの体を解剖学的に見てみると、そもそも肺もなければ声帯もありません。もっと言えば、呼吸をするための「気管」すらないのです。ではどうやって息をしているのかというと、彼らは湿った皮膚を通して空気中の酸素を直接取り込む「皮膚呼吸」という方法で生きています。

彼らの体が常にヌルヌルと湿っているのは、この皮膚呼吸をスムーズに行うため。乾燥は彼らにとって死を意味します。もし彼らが大きな声を出そうとして、仮に体内から空気を勢いよく出し入れするような仕組みを持っていたとしたら、あっという間に体内の水分が蒸発し、呼吸ができずに干からびて死んでしまうでしょう。

つまり、ミミズにとって「声を出さない(呼吸器官を持たない)」ことは、土の中で生きていくための大前提なのです。彼らは口をもごもごと動かして土や枯れ葉を食べることはあっても、歌うための楽器は、神様から一つも与えられなかったのです。

ミミズにはそもそも「声」を出すための器官が存在しません。では、彼らはどうやって呼吸し、土の中で生きているのでしょうか?

「ジーッ」という鳴き声の真犯人は「ケラ(オケラ)」

正体はミミズと同じ土の中にいる昆虫

では、あの秋の夜に響く「ジーッ」という哀愁漂う音の主はいったい誰なのでしょうか。その真犯人、いえ、土の中の真のヴィルトゥオーソ(名演奏家)は、「ケラ」という昆虫です。

童謡『手のひらを太陽に』の歌詞に出てくる「ミミズだーって、オケラだーって」の、あの「オケラ」と言えばピンとくる方も多いでしょう。正式名称は「ケラ(螻蛄)」。コオロギやキリギリスに近い直翅目(ちょくしもく)の仲間ですが、その姿は非常にユニークです。

体長は3〜5センチほど。全身にはビロードのような細かい毛が生えており、水に濡れても弾くようになっています。そして何より特徴的なのが、モグラの手のように太く頑丈に進化した前足です。このシャベルのような前足を使って、彼らはミミズと同じ「土の中」を生活の拠点とし、驚くべきスピードで掘り進むことができるのです。

昔の人が、「ジーッ」という音がする地面を不思議に思って掘り返してみたところ、素早いケラはササッと土の奥深くへ逃げてしまい、動きの遅いミミズだけがその場に取り残されていた……。「なんだ、お前が鳴いていたのか」とミミズが濡れ衣を着せられた、というのが事の真相のようです。ミミズにしてみれば「いや、私ただ黙ってご飯食べてただけなんですけど……」と、とんだとばっちりを受けたことでしょう。

ケラが鳴く仕組みと季節【実は求愛行動と音響工学】

このケラ、実はただ鳴くだけでなく、非常に高度なテクニックを使って音を響かせています。

彼らも喉で歌うわけではありません。スズムシやコオロギと同じように、硬い前羽(やすり状になっている部分)をこすり合わせることで「摩擦音」を出しています。

さらに驚くべきは、彼らが「音響工学」を本能的に理解している点です。ケラは土の中に、音を共鳴させるための特別な形の穴(共鳴室)を掘ります。この穴は、入り口に向かってラッパのように広がる「エクスポネンシャル・ホーン(指数関数的に広がる形状)」に近い形をしていることが研究で分かっています。

彼らはこの「自作のスタジオ」の中で羽をこすり合わせ、小さな羽音を効率的に増幅させています。これはメガホンや高級スピーカーのホーンと同じ原理。まるで天然の音響システムを自ら設計・施工しているようなもので、だからこそ、あの小さな体で、分厚い土の壁を超えて地上まで響く大きな音が出せるのです。

この音がよく聞こえるのは、春から初夏、そして秋口にかけて。特に繁殖期である初夏によく鳴きますが、気温の高い秋の夜長に聞こえることもあります。あの「ジーッ」という単調ながらも力強い音は、オスがメスを呼ぶための熱烈なラブソング。土の中で音響効果まで計算して愛を叫んでいると知ると、なんだか応援したくなってきませんか?

ちなみにケラは、「泳げ、飛べ、走り、掘り、鳴く」という多才な虫として知られていますが、「どれも一流ではない(器用貧乏)」という意味で「ケラの七つ芸」なんて言われることもあります。しかし、この「土の中での演奏技術」に関しては、間違いなく昆虫界のトップクラスと言えるでしょう。

なぜ「ミミズが鳴く」と勘違いされたのか?日本人の感性

秋の夜長と土の中のミステリー

それにしても、なぜ昔の人は頑なに「ミミズが鳴いている」と信じ続けたのでしょうか。単にケラが逃げ足が速かったから、という理由だけではないようです。そこには、当時の照明事情と日本人の豊かな想像力が関係しています。

かつて、街灯もなく夜になれば漆黒の闇に包まれていた時代。草むらの下の、さらにその下の土の中から不思議な音が聞こえてくる状況は、今よりもずっと神秘的だったはずです。科学的な観察手段がなかった時代、人々が「この不思議な生き物が、夜な夜な土の中で声を上げているのだ」と結論付けたのは、ある意味で自然な推理でした。

地上を歩き回るコオロギではなく、姿を見せない土の中の存在。そして掘り返すと出てくる、手足のない不思議な生き物。ミミズの持つ「異形」のイメージと、どこか悲しげな音色が結びつき、土の中に潜むミステリアスな妖怪や精霊のような存在として捉えられたのかもしれません。

世界でも珍しい?「虫の音」を愛でる日本人

ここで興味深いのが、虫の声を「声」として聞く日本人の感性です。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をはじめ、多くの外国人が指摘しているように、西洋では虫の音は単なる「ノイズ(雑音)」として処理されることが多いと言われています。一方、日本では万葉集の時代から、虫の音を「音楽」や「声」として楽しみ、季節の移ろいを感じる対象としてきました。

「虫が鳴く」という表現自体が、虫を擬人化し、感情移入している証拠です。この「小さな生き物の気配に耳を澄ます」という文化的土壌があったからこそ、「ミミズだって鳴くに違いない」という想像力が働いたのではないでしょうか。

俳句の季語「蚯蚓鳴く(みみずなく)」が定着した背景

この勘違いを決定的にし、文化として定着させたのが俳句の世界です。実は「蚯蚓鳴く(みみずなく)」は、秋の季語として歳時記に正式に登録されています。

江戸時代の俳人たちも、生物学的な真偽よりは「風情」や「情緒」を重んじました。土の中でうごめく小さな命が、秋の寂しさに耐えかねて、細い声を絞り出している……という情景は、日本人の琴線(特に「もののあはれ」を感じる心)に深く触れるものがあったのでしょう。

「オケラが羽をこすっている」と即物的に表現するよりも、「ミミズが夜泣きしている」と言ったほうが、土の中の暗闇や孤独、そして秋の深まりといった詩的なイメージが膨らみます。松尾芭蕉の時代から現代に至るまで、数多くの俳人がこの「嘘」を承知の上で、あるいは信じて、名句を残してきました。

科学よりも「風流」を愛した江戸時代の俗信

面白いことに、江戸時代の一部の学者や知識人は「あれはケラの声だ」と気づいていたという記録もあります。文献によっては「俗にミミズ鳴くというは誤りなり」と指摘しているものも存在します。

それでも、世間の人々や歌人たちは、あえて訂正することなく「ミミズが鳴く」という俗信を選び続けました。そこには、科学的な「正しさ」よりも、物語としての「美しさ」や「面白さ」を愛する日本人の心意気があったように思います。

「歌を忘れたカナリア」ならぬ「歌えないはずのミミズ」が鳴くからこそ、そこに特別な哀愁が生まれ、ドラマが生まれる。嘘から出た誠ならぬ、勘違いから生まれた文化遺産。ミミズにとっては「勝手に泣き虫扱いしないでくれ」と迷惑な話かもしれませんが、それだけ彼らが身近な存在として、人々の想像力を刺激する隣人だったという証拠とも言えるでしょう。

【豆知識】名前が似ている「ミミズク」との関係は?

「ミミズ」と名前が似ている生き物に、フクロウの仲間の「ミミズク」がいます。一見無関係に見えるこの二者、実は名前の由来に意外な接点があるのをご存知でしたか?

「ミミズ」を食べるから「ミミズク」説は本当か

ここで少し脱線して、ミミズにまつわる言葉遊びのような豆知識を一つご紹介しましょう。ミミズと名前がそっくりな鳥、「ミミズク」がいますよね。フクロウの仲間で、森の賢者とも呼ばれるあの鳥です。

「もしかして、ミミズを好んで食べるから『ミミズ食う』が訛って『ミミズク』になったのでは?」なんて推測をしたことはありませんか? 確かに語感はぴったりですし、そう考えるのも無理はありません。

しかし実はこれも、ちょっとした勘違いのようです。確かにミミズクは肉食の猛禽類ですが、彼らの主食はネズミやモグラ、小さな鳥や昆虫などです。わざわざ土の中のミミズを掘り起こしてメインディッシュにすることは稀ですし、名前の由来になるほど好物というわけではありません。

現在、最も有力な説とされているのは、「耳(ミミ)」のある「ズク」だから「ミミズク」というものです。「ズク」とは古語でフクロウのことを指します。

ミミズクの頭には、まるで耳のようにピンと立った飾り羽(羽角・うかく)がありますよね。あれを耳に見立てて、「耳がついているフクロウ=ミミズク」と呼んだのです。(※ちなみに、あの飾り羽は本当の耳ではなく、ただの飾りです)

つまり、地面のミミズとは全くの無関係。ここでもミミズは名前を貸しているだけで、実際にはあまり関わりがないという、なんとも奥ゆかしい立ち位置にいます。つくづく、ミミズという生き物は、人間の言葉の世界で不思議な役回りを演じさせられているようですね。

まとめ:ミミズは静寂の守り神、声の主はオケラ

さて、長年の謎はすっきりと解けましたでしょうか。

秋の夜に響き渡るあの「ジーッ」という音の正体は、土の中の天才音響エンジニアにしてシンガーソングライター、「ケラ(オケラ)」でした。そして、ミミズは声帯も肺も持たない、完全なるサイレント・ワーカーであり、黙々と土を耕す職人でした。

しかし、生物学的な真実がどうであれ、俳句の世界で「蚯蚓鳴く」という言葉がなくならないように、この素敵な勘違いはこれからも日本の文化として残っていくことでしょう。科学的な正解を知った上で、あえて「ミミズが鳴いているね」と風流を楽しむのも、また一興です。

今度、あの音が聞こえてきたら、こう思ってみてください。「お、ケラが愛を叫んでいるな」と。そして同時に、そのすぐ隣の暗闇で、一言も発することなく黙々と土を食べ、美味しい野菜や草花が育つ手助けをしている「静かなる隣人」ミミズのことも、そっと思い出してあげてくださいね。

音のある世界と、音のない世界。土の中では、二つの命がそれぞれの秋を懸命に過ごしているのですから。

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